愛しいものは抱きしめよう

愛しいものは抱きしめよう **

ありのままの私を愛して幸せになる方法

続【死について向き合い、考える】おばあちゃんの言葉

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いま、ようやく通夜が終わりました。

お葬式もまだ控えていて、夜行バスに揺られてそのまま通夜に参列した身体はもうくたくたに疲れているんだけど、もう少しだけ、伝えたい言葉と、残しておきたい気持ちがあったので、ここに綴らせてください。

 

前回の記事はこちら【死について向き合い、考える】実は昨日、おじいちゃんが亡くなりました。 - 愛しいものは抱きしめよう **

  

おばあちゃんの言葉

 

 わたしのおじいちゃんとおばあちゃんはふたり暮らし。人口100人もいない、小さな町に住んでいます。

今回、おじいちゃんが亡くなってしまって、私が一番に心配したのは、おばあちゃんのこと。

 

私は、おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くほど、二人が大好きな孫でした。でも、それは主に、おばあちゃんのおかげなのかなって思ってます。

 

私の両親は小さい頃、共働きで、私は家に帰っても誰もいない、いわゆる「鍵っ子」でした。

 

でも、特別に、「寂しい」 と思ったことはありません。

 

それは、おばあちゃんがいつも一緒にいてくれたから。

 

学校からの帰り道、いつも最寄りまで車で迎えに来てくれて、家に帰ってからもずっと一緒に宿題を見てくれたおばあちゃん。

 

たまに立ち寄るパン屋さんで、一緒にピザパンを食べるのが楽しみだった。

 

少しお小遣いがある時は、スーパーによって食べるソフトクリームが楽しみで、誕生日には、大好きなぬいぐるみを買ってもらったこともあった。

 

 

私は、おじいちゃんが好きだ。

でも、それ以上に、おばあちゃんのことが大好きだった。

 

 

おじいちゃんが亡くなって、家にぽつんと残る、おばあちゃんのことが気になった。

おばあちゃんの家は、古民家なので本当に広い。

人が何人も集まる家ならいい。でも、私たちですら、週に1回、顔を出すかどうかのお家だ。

 

おじいちゃんとおばあちゃんには、2人だけのストーリーだってあるはずだ。

私たちは何も知らないけれど、そのストーリーの中で、たくさん喧嘩もしたんだろうし、たくさんいろんなことがあったと思う。

でも、立派に私のお父さんと、お父さんのお姉さんを育て上げて、定年を迎えて退職して、2人で、ひっそりと、この大きなお家に暮らしていたのだ。

 

…今日の、今日まで。

つい、さっきまで。

 

ずっと一緒にいた人が、もう隣にいない。

いなくなってしまう。

 

 

その辛さは、計り知れないのだと思う。

 

でも、私は、気になって、気になって、

どうしても、おばあちゃんに声をかけずにいられなかった。

 

人は、最後はひとりだ

 

「寂しくなるねぇ」

 

あの頃とは違う、少し小さく丸まった、おばあちゃんの背中に声をかけた。

 

「そうだねぇ」

 

おばあちゃんは、洗い物をしながら答える。

 

「なにか困ったことがあったら、何でも言ってね」

 

常にそばにはいられない、私が言う言葉ではないかもしれないけど、それが本心だった。

おばあちゃんはこの先どうなるんだろう。

一人ぼっちで寂しくないのだろうか。

 

いろんな気持ちを、この言葉に込めた。

 

 

「そうだね、でもね、ちぃちゃん」

 

おばあちゃんは、私に向き直して答える。

 

 

人は、死ぬ時はどうやっても1人だからね。どんなに仲良くなっても、どんなに好きでも、あの世に一緒には逝けれない。そんなものだよねぇ。だから、今は頑張るよおばあちゃん。

 

 

おばあちゃんがそう言った瞬間、

 

…何故だろう。私は泣いてしまった。

さっきまで堪えていた涙が一気に湧いてきて、急に心が震えた。

 

一緒には逝くことが出来ない

 

その言葉が、おばあちゃんの寂しさを全部、物語っているように聞こえた。

どんなに大好きでも、最後は1人。

1人でしか逝けない。

 

やっぱり、別れはいつ来るかわからないのだ。

そんなことを思った。

 

さよなら、を言える幸せ

 

とはいっても、おばあちゃんはおじいちゃんの最期を看取ることができた。

 

突然、引き離されることもなかった。

ちゃんとお別れをして、ちゃんとさよならを言えることはもしかして最高に幸せなことなのかもしれない、とも思った。

 

 

いつか、必ずくる、さよなら。

 

私たちは、そのさよなら、にどんな意味を込めるだろうか。

 

いつでも会えると思っていたおじいちゃんは、もういない。

いつでもそばにいると思っていた愛する人を失ったおばあちゃんは、これからは1人だ。

でも、一緒にいくことができないと呟いたおばあちゃんの、おじいちゃんへの愛情は、これからもずっと続くんだろう。

 

 

誰かが誰かを想い、愛して、最期はその人を残して旅立つ。

当たり前のことが当たり前じゃないことを思って、私は今日も生きている。

 

死について向き合い、考える。

 

きっと私は、まだまだ弱い。

そして、人の死は、やっぱり悲しく、辛い。

 

でも残された人たちは、こうやって通夜やお葬式を得て、少しずつ「死ぬ」 ということを実感し、そして受け入れていくのかもしれないなぁと思った。

 

やっぱり、さみしいけど。

でも、いつまでも、後ろを向いてはいられない。

 

これからは、残されたおばあちゃんのために、私たちが頑張ろう。

私たちが、出来ることをしよう。

 

そう思って、今日はおじいちゃんのいなくなった、おばあちゃんだけのお家に泊まらせてもらうことにしました。

 

おばあちゃんと、おじいちゃんの想いと一緒に、眠ります。

 

 

追記▼

 

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まるもの体験移住でお世話になった、田舎フリーランスの針谷くんが、私についての想いをブログに書いてくれたみたいで、メッセージをくれました。

【後悔はしていない】そうやって自分に言い聞かせて、本当の気持ちにフタをしていませんか? - “ 少し不便なぐらいでちょうどいい ”

少しの時間でも、私のこと強くて弱いって分かってくれてるところが針谷くんらしい。(笑)

最近、強がりの私の正体をちょくちょく見破ってくれる人がいてびっくりします。(笑)

でも、針谷くんの想いはすごく嬉しかったよ。

ありがとう。

 

落ち着いたら、まるも体験移住のこともちゃんと記事にします。すごく楽しい東京遠征だったなぁ。

 

1人じゃないってこんなに安心するんですね。

 

それでは、 また更新します。

 

 

ich*

 

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