誕生日がある本当の理由は、自分のためだけじゃないのかもしれない

こんにちわ!こじらせ女子なエステティシャンich(いち)です!

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タイトルでもバンバン宣伝してますが、今日7月4日は私の誕生日です!

ただのなんでもない日常でも、自分の「誕生日」というだけで、その日がすごく特別で、大切なものになりますよね。

そんな、嬉しくてたまらなかった自分の誕生日。

でもね、20歳を過ぎたあたりから、私は、「誕生日」を迎えるということに対して、少しだけ、違う見方をするようになりました。

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誕生日ってなんのためにあると思いますか?

もちろん、誕生日は自分のためにある、という意見はその通りだと思います。

わたしだって今でもときめいたりわくわくしたりするし、誕生日の3日前くらいからはカウントダウンしたりするし。

30歳になっても、おばあちゃんになっても祝って欲しいって思うし、みんなにも「祝って祝ってー」ってたくさん言ってる。(笑)

だって、誕生日ですもの。自分が主役でいいのです。

でも、少しだけ違う見方をしてみると、誕生日ってそれだけじゃなくて、ちょっと違う別の理由もあるんじゃないかなって思うんです。

①親に「ありがとう」の気持ちを伝えるため

わたしは大学の頃から一人暮らしをしているため、誕生日はいつも家族からLINEでメッセージが届きます。

嬉しいのは、家族3人、みんな個別メッセージをくれるということ。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、それぞれからくる毎年の「おめでとう」が、なんだかちょっと待ち遠しい自分もいる。

「おめでとう」と言われると、「ありがとう」と返したくなるのだけど、社会人を過ぎたあたりから、毎年いつもこう返すことにしています。

「お父さん、お母さん、産んでくれてありがとう。」 と。

私は両親が共働きだったので、小学生の頃なんかは特に、家に帰って誰もいない生活がすごく寂しかったんですよね。

いわゆる「鍵っ子」でおばあちゃんが面倒を見てくれたんだけど、それでも平日に両親がいてくれて、帰ったら「ただいま」「おかえり」が言えることが羨ましかった。

そんな私のために、両親は私が12歳になるまで、毎年誕生日には仕事を休んで、私の誕生日を祝ってくれる機会をつくってくれていました。

今でも、アルバムにはその時の写真がたくさんあって、見返すとどれだけ両親が愛情を注いで育ててくれていたのか、実感することがあります。(写真は高校生の時ですが。笑)

そんな両親に「産んでくれてありがとう」と言える日が、唯一、誕生日じゃないのかな、と。

普段は照れ臭くて言えない言葉も、こういう時だからこそ言えたりする。

「お誕生日おめでとう」

「産んでくれてありがとう」

ほらね。なんかちょっと、こういう時なら許されちゃう感じがしませんか?

私は誕生日は、こんな風に「ありがとう」を、両親に全力に伝えるためにあるんじゃないかなと思うんです。

毎年毎年、いくら歳を重ねたとしても、いつか私が両親と同じ歳になったとしても。

「産んでくれてありがとう」を、これからも毎年伝えていきたいなと思います。

②友達に「おめでとう」と言ってもらうため

毎年、誕生日になると久しぶりに連絡をくれる友達がいて、そんな連絡から、「最近元気?」とか「なにしてるの?」って会話が繋がったり、後日連絡をとって久しぶりに再開したり、そんなことがあったりもする。

私は人の誕生日を覚えるのがすごく苦手だから、誕生日にわざわざ言葉をかけてくれる人はすごく嬉しいし、大切にしたいなって改めて思ったりする。

そしてなにより、みんなに「おめでとう」と言ってもらえることが、なんだか自分のことを認めてくれているような気がしてすごく嬉しかったりするんですよね。

両親への「産んでくれてありがとう」もそうだけど、やっぱり「生まれてきてくれてありがとう」って言葉は、誰にかけられても嬉しいし、そう思ってもらえるような人でずっといたいなとか、考えちゃう。

「おめでとう」の言葉以外にも、思い出を語ってくれたりとか、活躍を応援してくれたりする友達がいて、自分はなんて幸せなんだろうなって思えるし、SNSでも、「応援しています」とか「いつも見てます」とか、そういうみんなの気持ちが、やっぱりいつもあたたかくて、幸せだなって思える魔法の言葉だなって感じるから。

おめでとうってみんなに言って欲しい。

たくさん祝って欲しい。

それが叶えれるのが「誕生日」だから。

みんなにたくさん「おめでとう」って言ってもらうために、誕生日はあるのかな、と思います。

③一年を振り返るため

「誕生日」がくると、その一年を振り返ったり、去年の抱負を語ったりしながら、「今年はどういう一年にしよう」とか、「来年の誕生日までにはこういうことを叶えていたいな」とか思いますよね。

私たちって、たぶん「◯歳までにはこうなっていたい!」っていう願望とか欲求ってちゃんとあって、でも、5年、10年、15年・・・っていうスパンではあまりに規模が大きすぎて考えられないからこそ、誕生日っていう節目で一年を振り返るのかもしれないなって。

お正月とかでもよく立てる目標だったりするけど、やっぱりひとつ歳を重ねるごとに、その歳の「なりたい理想の自分」ってあるのだと思っていて、だからこそ、やりたい、やりこもうって新たに決意表明することができるんですよね。

私の話で言えば、23歳はまさに「駆け抜けた一年」って感じでした。まだまだ発展途上ではあるけれど、自分の新しい働き方みたいなものを考えることができたし、開拓することもできた。

いろんな人と繋がれて、いろんな人に出会うことができた23歳だったなと思います。
うん、悔いは全くなし!

だからこそ「24歳」っていう、もう本当に若さがそろそろ武器にできない年齢を迎えてしまって、これからどうしようっていうのはもっと真剣に考えていかなきゃいけないし、自分の掴みたい未来は、今ここの自分の努力でつかんでいくものなんだろうなってことも実感しています。頑張らないと!(笑)

けど不思議と、なんだかやれるって思うんですよね。すごい不思議なんだけど。

なんとかやれるって思うし、自分なら掴みたい未来もつかめるんじゃないかなって気持ちがあって、でもそれは私一人じゃなくて、周りで一緒に協力してくれるみんなとか、「やりたい!」という夢を一緒に叶えようと支えてくれる人の存在があってこそで、やっぱり私は人にすごく恵まれているし、支えられてここまで来たんだなって思います。

そういう人にも、きちんと恩返しができるように。

24歳も、私らしく突っ走りたいな、と思います。

④プレゼントをもらうため

いろんな意見があるかなーと思ったんですが、こういう意図もひとつあるな、と思って取り上げてみました。

わたしも先日、Amazon欲しいものリストというものを公開したのですが、本当にたくさんの人からプレゼントが毎日のように届いていて、いつもお家に帰るのが楽しみでわくわくする、そんな子供の時のような気持ちを思い出させてもらいました。

重ねて、欲しいものリストから商品を送ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

私はAmazon欲しいものリストを公開するまで、

誰かにものをもらうこと=悪いこと

だというふうに思っていたのですが、公開から少し経って、いろんな人が自分に対して欲しいものを送ってくれる現実を知った時、そういう概念はただの「思い込み」だったんだな…ということに気づくことができました。

実際はみんな本当に優しくて、世界はあったかくて、自分が思う幸せの形だって、「プレゼントをもらう」ってことで満たされるものもあったりして。本当に欲しいのは、プレゼントっていう物じゃなくて、それを探すために自分に当ててくれた時間とか、プレゼントをあげようと思ってくれた気持ちとか、そういう「みんなからの愛の形」なのだなと思うんです。

普段「これが欲しい!」なんて表立って言えないけど、誕生日っていう空間であれば、そういうことが伝えやすいのも、誕生日という物が存在する意味なのかな、なんて。

自分が誰かにもらうプレゼントの数だけ、自分はその人に貢献できた数でもあると思っていて、だから誕生日にもらうプレゼントって、「今までいろいろと協力してくれてありがとう」とか「仲良くしてくれてありがとう」とかそういう気持ちも込められているんだと思います。

だから、堂々とプレゼントはもらいましょう!

そして、たくさん周りに「ありがとう」を伝えて、自分も相手にそういう気持ちをたくさん返していける人であれば素敵だな、なんて思うのです。

まとめ

「誕生日」が、自分のためではなく、他の誰かや何かのためにあるのかもしれないな、と思うようになったのは社会人になりたての、20歳を過ぎたあたりでした。

会社からの帰り道、誕生日っていう、みんなからしたらただの日常でも、私にとってはすごく特別な1日を、このまま終わりたくなくて、帰りのコンビニでひっそりと自分用にケーキを買おうと思っていたとき、外に出ると待っていてくれたのは、会社の同期達でした。

「今日誕生日なのに仕事で終わらせたくないでしょ?」

「パーっと飲みにでも行きますか!」

そういって、会社の近くの、少し小さな居酒屋で、これからの夢とか野望とか、それこそ別れたばかりの彼の話とか、いろんなことを語り合って、ベロベロに酔っ払いながら帰る時、みんなからの「誕生日おめでとう」とか、SNSの通知とか、両親からの「生まれてきてくれてありがとう」という言葉が、乾いた心にすうっと沁みて、なんだか泣きそうになったことを覚えています。

その時、「あ、誕生日は、誰かからの愛情をちゃんと受け取るためにあるのかもしれないな」なんていうふうに思ったことがきっかけで、それから毎年誕生日が来るたびに、誕生日って自分のためだけにあるんじゃなくて、みんなからの愛情を感じたり、感謝の気持ちを伝えたりするためにある特別な日として、自分の中で認識するようになりました。

昨日は、ブログ仲間の中馬あいちゃんが盛大にお祝いしてくれて本当に嬉しかったし、24歳最高のスタートがきれたなあって思います!

重ね重ね、24歳の誕生日、お祝いしてくださった皆さん、本当にありがとうございました!

これからも加速して成長していきますので、どうぞよろしくお願いしますっ。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

鳥取県出身。自称:こじらせ女子なエステティシャン 人生、恋愛、仕事に悩むすべての「こじらせ女子」に向けた情報発信を得意とし、女の子が自己発信で幸せになれる社会を目指しています。現在はブロガー✖️YouTuberとして、メディア関連の露出も視野に活動中。 ブロガー女子に向けたコミュニティサロン「style」を運営しながら、ブログで人生を豊かにできる女の子を増やしたいと考えています。