その街がなくなってしまったら困るのはそこを愛するあなたじゃないの?|地域おこし協力隊へのリアルな批判について考える

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ich(いち)

地方を旅するノマドワーカーとして、特定の家を持たずに旅をしながらブログを書いて生活する24歳。 こじらせ女子代表として、女の子に向けた恋愛相談やコラム連載などを発信しつつ、「可愛く」「おしゃれ」に旅をするというコンセプトの元、キャリー1つで地方を転々とするノマド旅を始める。フォロワーは現在2000人を突破。恋愛ブログはLINEブログのトップを飾るなど、多方面で活躍中…!

こんにちわ、ノマド系ブロガーのich (いち)です。

今日はすこしだけ、悲しいことがあり、そして同時に、やるせない気持ちでいっぱいなので、どうか少しだけ、私の話を聞いてください。

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地域おこし協力隊へのリアルな声について

私が所属する「地域おこし研究会スピカ」は、まだ立ち上がったばかりの団体ですが、鳥取県内の地域おこし協力隊のメンバーが集まり、交流し、《地域おこし》とはどういうものであるのか、試行錯誤しながらみんなで考えられる、素敵な団体だな、と思っています。前回行われた、わたしがチームリーダーとなった活動のかき氷販売も、このスピカでの初めてのイベントで、「女子の力で田舎を元気に」の合言葉の中で、私もこの団体に理事として加わり、日々、活動を続けています。

そこの代表を務める、うちのボスは、鳥取県江府町という、鳥取県の中でも一番人口の少ない街で、本業は百姓をしながら、この団体をつくり、統率し、盛り上げてくれている存在で、わたしも彼のことを信頼し、父のように慕っています。

そんなボスが、今日Facebookに投稿していた記事が、こちら。

ここに書いてあるのは、「地域おこし協力隊への、街のリアルな声」について。

一部抜粋すると、

江府町のいわゆる「ゲストハウス」の話は新聞か何かに出ていましたね。
その時は「住民の皆さんはどう受け止めていらっしゃるのだろう?」と思った次第です。

本来なら、皆さんのご意見を集めて議論すべきような話題だと思いますが、
●積極的に反対する理由が見つからない。
●「補助金」(または日本財団の支援)絡みの話であり、自分たちの腹は痛まない。
●「町おこし」「地域振興」絡みなので積極的に反対しずらい。
●マスコミが「いいことだ」的に報道している。
などが邪魔をして表立った反対や疑問表明ができない状況にあるのではないでしょうか?

私の感想は、
①「ゲストハウス」という名前の「シェアハウス」ではないのか?
②情緒的な本音は「気持ち悪い」。
③税金を使ってするな。
です。

ということが書かれています。

私はこの投稿を見て、すごく、悲しい気持ちになってしまいました。

地域おこし協力隊制度とは?

そもそも、地域おこし協力隊制度とはなに?というお話かもしれませんが、これは行政が各地方自治体で募集している制度で、簡単に言うと「衰退していく地方を盛り上げるために、地方以外の視点を持った人たち(=県外)の人を受け入れ、街に移住させることで、その地方の活性化をはかるために協力してもらう」というのがメインのお仕事。

地方を盛り上げるといっても、その活動内容は様々で、うちの代表のように「百姓」で入るひともいれば、漁業関係であったり、フリーランスでなんでも活動していいよ、というゆるいところもあったり、本当に地方によって様々なんですよね。

そして、この制度が人気な理由は、定住、移住し、地域のために活動することが仕事になるので、きちんとした「お給料」が振り込まれること。そして、その他に、年間で数百万円が活動費として割り当てられたり、場所によっては家賃補助があったりします。

つまりこれは、行政のお金。みなさんの税金によって成り立つ制度、というわけ。

そのため、残念なことに「楽してお金がもらえるからそこで活動したい」という‘‘あわよくば”という気持ちで応募する人もいたりして、地域おこし協力隊制度が導入されてから、様々な地方でそういった揉め事や問題が起こったという事例もあります。

(今回ブログ内に書かれている《智頭町の大麻事件》もその事例内のひとつ》

そういった問題の中で、「地域おこし協力隊は税金をもらって、街のために働くといいながら自分たちが楽をしているだけだ」とか、「若者が街に入ってきたせいで、その街が逆にめちゃくちゃに荒らされている」といった声も、正直たくさん聞きました。

中には、「地域おこし協力隊としてやってきました」というだけで、嫌な顔をする住民もいたりします。

確かに、いきなり街に知らない人がやってきたと思ったら、自分たちの税金を使って好きなことばかりしている、何も手伝わない、となれば、それはそこに住む人々からすれば「ありがた迷惑」もいいところ。

このブログにも書かれている「気持ち悪い」という意見も、わからなくもないな、と思います。

だけど、だけどね、私、思うんです。

その《一部分》だけ見て批判するあなたたちの街は、このまま行けばどうなりますか?

あなたが愛するこの街が、衰退して消え去った時、悲しい気持ちになるのは、あなたたちじゃないの?って。

若者が夢を叶えるステージが、地方であることは喜ばしいことなのではないのだろうか

私は鳥取県鳥取市で生まれ、18年間、そこで育ちました。

でも、その時思ったのは「この街には本当に何もないんだな」ということ。

高校まで順調に進学した後、地方に暮らしていて待っているのは、当たり前に用意された「就職」という道たった一本でした。

高校卒業と同時にみんなで免許をとりに行き、車の免許をとり、就職し、20歳そこそこで結婚をし、子供を産み、育てる。

そんなレールの上に立った時、たまらない絶望感と、空虚感に襲われた私は、そんな自分の生き方から、逃げるように大阪へやってきました。いま、そのレールの上に立った友人たちは、24歳という年齢の中で、次々と結婚をし、出産をし、安定した職業と安定した衣食住の中で、幸せそうに笑っています。

それ自体は、すごく素敵なことだと思う。

でも、それはみんなの「幸せ」であって、わたしの「幸せ」では今はなくて、でもそれは、私が県外に住んでいなければ、許されないことだったようにも感じます。

みんなが右を向けば右を向き、左を向けば左を向かなければならない。

そこで少しでも違う方向を向く人がいれば、その人は批判され、変わり者と呼ばれ、みんなのグループから外れてしまう。

そんな田舎が、大嫌いで、そんな田舎で若者は夢を見られないから、多くの人たちは卒業と同時に、地方から出て都会に行き、そのまま就職してしまう現状があるのではないか、と思います。

でも、そんな中で、「地方に夢を見られる制度」があるとするのなら。それが、地域おこし協力隊であっても、いいのではないかな、と思うんです。

誰だって、自分のやりたいことがそこにあるから頑張れる

こんなことを書くと、「地域おこし協力隊という制度を利用して自分の夢をかなえろ」という、熱烈な批判メッセージみたいに捉えられるかもしれないけど、誰だって《自分のやりたいこと》がそこにあるから、努力したり、頑張ったりすることができるんだと思います。

ブログでご飯を食べるブロガーたちが、そのブログが好きだから、ブログの書き方や、1日1記事の更新や、その他SNSの引用ができるみたいに。

その中には、調べるのが面倒くさかったり、理解するのに時間がかかってしまうこともあるけれど、ただ「好きだから」「やりたいから」頑張れる、努力できるのであって、それが嫌なことや、やりたくないことであるのなら、私たちの頑張りなんて、限界という二文字の上で、簡単に吹き飛んでしまう。

ただ仕事だからやることと、ただ好きだからやることは、同じ作業でも全然違う。

熱量が違うことは、結果も絶対に違うし、そこで学ぶことも違うんです。

だから、やりたいことや叶えたいことに、地域おこし協力隊制度が結びつくというのなら、その制度を使用して、地方に移住して、自分たちの叶えたい夢を叶えることが、ダメなことだとは思わない。

逆に「地方移住したいから、地方のために頑張りたいから地域おこし協力隊になりました」なんて人の方が、よっぽど胡散臭いし、信じられない気がするんですよね。純粋にその地方のためだけに、自分の人生を3年間差し上げます、なんて、そんな若者を見つける方がずっとずっと難しい。

実際は、「私たちが地方を盛り上げる」なんて言葉すら厚かましくて、本当は、自分たちがやっていることが知らず知らずのうちに「地域おこし」に関連していた、ということの方が、よっぽど自然で、地方のためになっていると思うんです。

でも、そこには必ずしも「自分たちだけ」の野望があるわけではなくて、じゃあどこの地方でそれをするのか?誰と手を組むのか?というのは、若者だって、ちゃんと考える頭を持っています。そして、当たり前に「その地方」に対する思いだって、住んでいくうちに湧いてくる愛着もあって。

自分たちだけの野心のために、全てを利用して壊す、みたいなイメージで捉えられてしまうと、それはものすごく残念で、そうじゃないのになって思ったりもする。

じゃあどこでそれを見分けるの?というときに、出てくるのが‘‘歩み寄り”の作業だと思うんですよね。

大切なのはSNSの発信よりも、リアルに目を向けること

 

「夢を持った若者」の活動が応援されない時って、大抵「歩み寄り」の作業を怠っている場合が多い、と思います。

リアルに感じられる人とのふれあいだったり、暖かさっていうのは、残念ながらSNSで情報発信しているだけでは、得られないんですよね。

少し前に、「地域おこし協力隊は、夢を語る前に、地域の人と一度草むしりをやってみるといい」というツイートを見かけたけど、それはその通りだなって思っていて。本当にその地域と密に関わって貢献していきたい思いがあるのなら、そういう地域とのふれあいはもっとしていくべきだと思うし、それもなしに「私たちのやってることを理解して下さい」なんて、そりゃ街の人も混乱するだろうと感じるから。

でも、だからといって難しいのが「馴れ合い」にならないこと。線引きをすること。

歩み寄ること、分かち合うことと、馴れ合うことは違うんですよね、だから、ここに「制度」だったり「お金での貸借り」だったり、そういうことは必要なんだと思う。

街にある施設をタダであげるかわりに、◯◯をやってくれ、というお願い事で大抵のことが成立しちゃう社会が田舎のありがちなところだから、なおさら、そういう時にきちんと線引きできるまで、「お互いの信頼関係」を作っておくのは大切で。

相手のことを何も知らないままに、好き勝手されたら腹がたつのは、私たちだって、街の人たちだって同じなのです。

これからの地域おこし協力隊制度、さてどうなる?

地域おこし協力隊制度というと、これまで「過疎地域」と呼ばれる集落での募集が一般的でしたが、最近では街中でも「街おこし」という意味で協力隊を募集するなど、新たな試みもあるようで。

私はそんなに社会状況に詳しくはないんだけど、この制度自体がなくなることはまずなくて、今後いろいろな形で募集をもっと開始していくんじゃないかな、と思います。(情報発信とか、ブロガーとかの分野でももっと増えたら嬉しいなとか個人的には思ってる)

でも、本質っていうのはきっと変わらなくて、地域おこし協力隊に欲しいのは「その街を大切に思う気持ち」と「自分のやりたいことで街おこしに協力していく姿勢」だと思っています。

何度もいうけど、自分たちが街おこしをしているなんていう上から目線はとんでもない。

そんなのありがた迷惑なんです。街の人が、「何をして欲しいのか」「何を望んでいるのか」もっとシンプルなことをいうと、「今、困っていることはなんなのか」ということに、耳を傾けられる人たちが、もっともっと地方に移住して、助け合える社会になれれば。

それが自分たちのやりたいことを叶えるツールであったとしても、今目の前にいるその人を笑顔にすることができるのなら、地方の未来は、きっと、もっと明るいと思うのです。

 

誰でもできるわけじゃないって感じるからこそ、その地方で頑張る人たちの活動は、全力で応援したいです。

慣れない地方で頑張る若者の「想い」だって、並大抵のものじゃないって感じるから。

地方の人も、そこに飛び込む若者も、どちらもが疲弊しない社会にするために必要な「歩み寄りの心」

もっと地域おこし協力隊への社会の目線が、優しいものであってほしいと願うと同時に、これからの地方を担う若者として、この批判の声もしっかり受け止めなきゃならないと、切実に、痛烈に、そう感じるのでした。

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