恋愛

【愛の意味】愛ってなんだろう|その意味について考えてみた。

絶賛締め切り前、深夜2時半。本当はこんなことを書いている場合ではない、否、いや…ちゃんと仕事はするのだけど、今回はどうしても「愛の意味」について考えたくなった。

そして、書き手として、ちゃんとその意味を伝えたい、と思ったから、このわずかな時間に、なぜか私はこの文章を書いている。

そもそも、愛ってなんだ。

 

そんな問いかけをされたら、あなたならどう答えるだろう。ちなみに、聖書には「愛とは見返りを求めずに相手を思えること」とある。それから、よく聞くのが「隣人を自分のように愛せ」という有名な箇所だろう。「自分のことを愛せない人が、誰かを愛するのは無理ね」なんて、どこかの恋愛ノウハウ本に詰められた言葉のようだが、


しかし、そもそも、自分を愛するってなんだ。
自分を愛せていると自覚できる人なんて、この世にどのくらいいるんだろうか。

愛に関するひとつめの体験

 

私はこれまでに、2回だけ、この「愛」について経験したことがある。

ひとつ目は、高校生の時に付き合っていた彼氏。

私より年は6個くらい離れていて、私が高校生の時には社会人だった彼は、いつも私の良き理解者、良きパートナーでいてくれた。今「いつの恋愛が一番幸せだった?」と聞かれれば、私は彼との恋愛を答えるだろう。

そのくらい、愛に満ち溢れていたその恋愛は、「ただ、ただ、彼が好きでいてくれる自分のこと」を好きになれる恋愛だった。毎日が幸せで、純粋で、楽しかった。彼が飲み会終わりにくれる、たった5分の電話も、一緒に入れる週末も、こっそり学校を抜け出して、ふたりでする平日のデートも、どれも全部、幸せだった。

私が大学生になり、一人暮らしの神戸のお家に彼が泊まりに来た時、これまでに見たことのない表情で、彼が私に自分の弱みをぶちまけてくれたことがあった。

「自分は本当はすごく弱くて、時々、この時間が永遠には続かないんじゃないかって、ものすごく不安になることがある」

初めての遠距離恋愛の中、私の状況だけが目まぐるしく変わり、彼は自分だけが置いていかれているような感覚でいたのかもしれない。彼に涙を流してそう言われた時、自分でもいわれのない感情で、私は彼を抱きしめた。

「あなたが弱いなら、私が守ればいい、と思う。」

当時まだ18歳、その小さな両腕で、守れるものなんてひとつもないことはわかっていたけれど、それでも、彼を抱きしめたかった。

弱みを打ち明けてくれる、この人を愛したいと思った瞬間だった。

そんな弱みからか、だんだんと束縛や日々の連絡がひどくなった夏前に、私は彼とはお別れをしたけれど、今でもこの時の瞬間、自分が感じた気持ちだけはずっと覚えている。確かにあの瞬間、私は幼いながらも「愛したい」と願ったことも。

愛に関するふたつめの体験

 

もうひとつは、19歳ー21歳まで、ほぼすべての時間を費やしたといっても過言ではない彼と付き合っていた時のこと。その日、彼は私の最寄駅に終電で行く約束をしていた。いつものように「今から行く、待ってて」というメールが送られてきて、いつものように、駅に向かったのだったが、結局その日、その待ち合わせ場所に、彼の姿はなかった。

2年半、付き合ってきて、これまでそんなことは一度もなかった。携帯に着信を入れてみたけど、繋がらない。ラインも既読にならなくて、勇気を出して入った駅のホームの中は、終電とともに静まり返って、誰の姿も見当たらなかった。

ちょうどその頃、家の近くで犯罪者が大学生に手を出すという事件が横行していて、大学生が死亡したニュースを見た。とっさに、「彼も事件に巻き込まれたんじゃないだろうか」と思った。そして深夜、自転車をこぎながら彼のことをずっと探した。

ずっとずっと、もしかしたら、どこかで死んでしまっていないだろうかと、涙をこらえながら必死に探し回ったけれど、結局彼は見つからなかった。

(死なないでほしい、生きていて、お願い…。)

もしかしたら、寝過ごしてどこかのホームで困っているのかも、もしかしたら、友達とあっているのかも、もしかしたら、もしかしたら…。

たくさんの考えはよぎったけれど、とにかく「生きていてくれたら」それでいいと願った。

付けっ放しの携帯を握りしめながら、ほぼ眠れない夜を過ごし、少しだけ意識が朦朧とし始めた午前6時、家のドアが開く音がした。

・・・彼だ!

飛び上がって起きると、目の前にはバツの悪そうな彼の姿があった。

「心配かけてごめん。実は…」

彼はその日、友達の家から私の家へ向かう予定だったらしく、私に連絡を入れた後、そのまま友達の家で眠りこけてしまったらしい。昨日はお酒を飲みすぎて記憶がなかった、なんども着信くれたり、心配してくれてたのにごめん、と、反省の色を浮かべながらこちらを見る彼の姿に、心から思った。

(あぁ、生きていてくれて、よかった。)

今思えば、そんなのただの嘘で、本当はどこかで浮気のひとつやふたつ、していたっておかしくない。でも、そんなのどうでもよかった。

この人が、生きていてくれるだけで嬉しい。

そう思った時、あぁ、これはきっと「愛」なんだなと思った。

愛って何だろう|ふたつの出来事から、思うこと

 

このふたつの経験が、かろうじて、わたしの「愛」の意味を支えている。

  • 相手が好きだと言ってくれる自分のことを好きでいられること
  • 相手が弱みを見せた時、それでも自分が支えたいと思えること
  • 相手が突然目の前から消えた時、命の心配を真っ先にすること
  • 相手が生きていてくれてよかったと、心の底から感じること

箇条書きにすると、こんな感じだろう。あくまでこれは、体験ベースにはなっているけれど、これらのことが全部思える相手ならば、私は間違いなく、その相手のことを自分は愛していると答えられるだろう。

けれど逆に、このどれにも当てはまらない、このどれかにしか当てはまらないのであれば、自分はその相手のことを、まだ愛せてはいないのだと思う。

愛とはなんだろう、と考えるたび、わたしはこの2つの出来事を思い返す。そして、あの時の感情は、あの時の私なりに必死に出した答えだったことも知るのだ。恋愛は、どちらかが必ずしも愛情が大きいものであるし、そのバランスがうまくとれないとき、破断するものでもあると思う。

でも、見返りのない、ただひとつのまっすぐな愛があるとするなら、それはたぶん、究極「相手が生きてさえいてくれたら、それでいい」という、自分以上に相手を思える気持ちなんだと思う。

残念ながら、私には今、これらを全部クリアできる相手はいない。むしろ、好きという気持ちばかりが先行して、自由にしてあげられない恋愛ばかりに、自分のことを嫌いになってしまいそうになる。そんな時の恋愛はきっと「愛」ではなく「恋」の部分、「愛している」ではなく「好き」という気持ちが大きく出てしまっているのだなと、思うのだ。

愛の意味を思い出して、たまに、うーんと悩んでみてほしい。そして、依存関係や束縛関係ではなく、相手のことを自分は「愛して」いるのか、はたまた「愛されて」いるのかを考えてみてほしい、と思う。

26歳、まだまだ悩む。どうかこの先に、素敵な恋愛が待っているように、いまはただ、願うだけだ。

ABOUT ME
ich(いち)
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WEBライター&エステティシャン。全国47都道府県をキャリーひとつで回っている。旅/人/かわいいもの/美味しいものが好き。 現在は恋愛メディアへの寄稿、編集者としても活動。 地方創生やSNS発信者としてのゲスト登壇など幅広く活動している。